自らの信念に殉じられるのが作家なんだと思う

2017.05.16

自分でもよく分かっていない気がする要素、「作家」。あるいは「作家性」という言葉。何を意味するのか、何を思って使っているのかを、改めて考えてみる

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そもそも、「作家」とはなんだろうか

ただの物書きであれば、「ライター」という表現もある。「記者」という表現もある。クリエイターという表現もあるし、ノベリストという表現もある。「作家」という言葉にこだわらなくてもいいのだろうけど、やっぱり「作家」という言葉にこだわりたいと思う自分がいる。

ただ、文章を書けばいい、あるいは文書を作ればいいというのなら、別に「作家」を名乗らなくてもいい。自分で原稿を作らずに、一定の法則に従って文章を寄せ集める「編集者」でもいい。文章にまつわるオペレーターになる気もなければ、作った文章を納品して満足する人間になる気もない。基準としては、「作ったもの」が評価されているかどうかという基準もあるし、「何かを作ったかどうか」という基準もあるけれども、それだけで「作家かどうか」を名乗る、あるいは名乗れるかどうかはまた別問題な気もする。

色んな要素を考えてみたけれども、「作家かどうか」を考えるにあたって大きいのは、「他者基準」だと名乗れないだろうなとは思う。「他人からどう見えるか」とか、「他人からどう評価されるか」だけを大事にしている人は、作家を名乗ったところで相手にされない。作家だと思ってもらえない。

自分が貫きたい理想、あるいは信念をしっかりと持っていること。また、それが評価されなかったとしても、他者や世間におもねらないこと。作品作りで生計を立てられていようといまいと、その仕事以外をやるつもりがなく、食えなくてもその仕事を辞めるつもりがないというのも、「作家の条件」の一つな気がする。

ある意味、どこからどう見ても「バカ」であること。また周りと比較して明らかにバカだと認識していたり、疑問を持つようなことがあったとしても、それを放り捨てずにそれにしがみつくことができるかどうか。プライド、矜持を貫ける人間だけが作家を名乗れるんだという気がしてくる。

オリジナリティの有無も「作家かどうか」の大きな要因、だと思う

例えば、「なんとか塾」に傾倒して、その大元になったカリスマが教えた通りのことをやってみて大成したとしても、それは「作家だ」とはあまり言いたくない。あるいは、誰かがやって上手く行ったことをそのまま再現してみて、何か別のものを上手くやり遂げたとしても、やっぱり「作家だ」とは言いたくないし、認めたくもない。

完全なオリジナリティはもはや無理な時代ではあるものの、誰かの系統立った教えをそのまま踏襲して、ほんの少しだけ自分らしさを足すようなものでは足りない。パロディばかりで己の美学が微塵も感じられないのも、やっぱり作家としては失格だろう。クリエイターと作家の違いとは、その辺にあるような気がする。

「過去の前例」を学んだら作家じゃなくなるのか、というとそんなこともない。むしろ、学ばない作家は息が短いとも思うし、先人を敬わない作家も、長くは続かない。セオリー無視は、どの世界でも真理に反する。

前例を学び、それを賢く取り入れて、賢く主張を織り交ぜる。それも、作家としては正しくない。小狡い方がまだいい方で、自分の体に傷も作らず、ただ賢く立ち回るだけの奴は作家とは言い難い。どこかに、「自分にしか表現できないもの」や「どうしても捨てきれない自分のこだわり」を、例えバカに思われたとしてもさらけだしていく。その勇気、そのバカさ加減から逃げない姿勢こそが、作家なんじゃないか、と。

他人からは学ぶのだけれども、自分自身の中での昇華度合いが高いこと。学び取った部分より自分の中で再構築した比率の方が高いこと。それも、作家かどうかを判断する一つの基準じゃないかと思う。

「自分の生き方」に自分で責任を取ることも、作家の条件な気がする

「誰かの教え」を寄せ集めて生きてみても、やっぱり「作家」とは言い難い。世間の「セオリー」も理解しながら、それとは違う「自分の選択」を持っていること。自分の選択、あるいは自分の基準、あるいは自分の美学。こっちの方が「世間の声」より大きいこと。多数派からすれば明らかに間違った選択であったとしても、それを貫けること。人の声に耳を貸しつつも、自分の人生は自分で切り開く、自分の決めたことは自分で責任を取る、誰も選んでいない方をあえて選ぶという姿勢がなければ作家を名乗っても、認められにくい。

ようするに、作家を名乗りたければ小賢しく生きているうちは無理なんじゃないかということだ。また、誰かに寄って立とうという考え方でも無理。第三者からの見え方を気にしすぎているのも、作家を名乗るには無理な人間性だと思ってしまう。

上手に生きている奴は、「作家」にはなれない

「普通の人として生きるのが下手」な部分がないと、作家にはなれないんじゃないか、と。「普通じゃない部分」や「アウトプットしきれない自分」を抱えていないと、作家とは言い切れない。どこまでいっても安全安心な人物、上手く立ち回って、上手く経済活動をしていける人の中に、作家というのは少ない気がする。

ほどほどに変態で、ほどほどに世渡りが下手で、作品作りが必ずしも目先の経済活動と直結していないバカな奴。それが、作家なんじゃないかと。とことんバカで、優先順位を間違えている弱い生き物。そして、理想のため、信念のためなら全てを投げ出せる、一点に特化した変な奴。だからこそ新しく、だからこそ革新的なモノをもたらせる存在。

弱くてバカで、だから大きなものをひっくり返せる天邪鬼。あえてその難しいポジションに自分を置きたくて、「物書き」と言いつつながらも、「自分は作家だ」という想いを抱いている。

仮面ライターという屋号も、生き方も、バカ丸出し

賢く生きようと思っていれば、違う生き方や屋号を選んでいるだろうし、経済活動を優先したければ、もっと違う生き方を選んでいるだろうし。賢く工夫して、賢く世渡りをしていくこともできるだろうに、自分のこだわり、自分の理想を貫こうとしている。そういう意味でも、やっぱりバカな生き方はしていると思える。その分、従来の資本主義からはある程度はみ出したところで活動していけるとも思っている。

「今まで通り」が上手く通用しない世の中だからこそ、「作家性」が役に立つ。そこをとことん磨いていって、自分なりのポジション、あるいは自分だけの強みを構築していければと思っている。単なるオペレーターとしてのWeb屋さんでもなく、「クリエイター」として鼻高々になっているWeb屋さんでもなく、作家として名を上げていこうと思っている仮面ライターに、あなたのWebサイトやホームページを任せてみませんか? 思わぬ問題発見、問題解決も、遠慮なくお任せくださいませ。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.05.16

2017.05.16

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