世界から何を受け取るかは、自分次第

2017.05.18

考えれば考えるほど、あるいは本を読めば読むほど、人間の社会には矛盾が渦巻いているような気がしてきましたが、だからこそどんな風にも解釈できることに気がつきました。そんな話を書いてみます。

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大事な物ほど、眼に見えない?

「はなてばてにみてり」。座禅で有名な曹洞宗の開祖、道元の言葉。漢字も混ぜれば、「放てば手に満てり」か。手放すと、手に満ちている、満ちてくる。座禅で執着を手放せば、本当に求めている物が見えてくる、と。

にわかには納得しにくい言葉だと思う。大事だと思うから握りしめているのであって、それを手放さないとより大事な物が手に入れられない、感じられないとはどういうことか、と。また、新たに見えた大事な物も握り締めに行くと、大事な物ではなくなるのではないか、とも。

まさしく禅問答。答えとしては単純だろうに、一見すると矛盾を秘めているように思える。あるいは、非常に非合理的な考え方にも思える。でも、世の中というのは多分そういう仕組みで出来ている。

個人的な趣味の『仮面ライダー』でも、シチュエーションとしては真逆だけれども興味深い言葉がある。『仮面ライダー響鬼』の第29話に出てくるヒビキのセリフ、「生きてくってことはさ、なくすことばっかりじゃないぜ」。一度でも大事なものを無くしてみないと、出てこないセリフだろう。他にも、人生のままならなさ、やるせなさを考えさせてくれるのが、この29話でもある。

「知らないと損」。本当にそうだろうか?

サポート系の事業をしていると、ついつい言いがちになる言葉。自分も何度か口にしたかも知れない。でも、本当にそうだろうか。確かに、知らずに行動して、回り道をすることもあるだろうし、経済的に眼に見える部分だけを切り取れば損をしているようにしか見えないこともある。自分自身、備えを満足にせず、「損」と思えるような行動ばかりを選択しているようにも思えるけど、じゃあその人生は「損」しかないのだろうか? そんなことはないと思うし、少なくとも自分の人生、「損をしている」と思うことはない。「上手く立ち回れただろう」とは思うけど。

今は多数派を占めている、「正しい」と思われる選択。損をしない選択だろうし、理解や納得もされやすいだろうけど、「損」と思われる方を選ばなきゃ見えなかった景色もあるし、手に入れられなかったものもあるだろう。その「選択」を損か得か決めるのは自分自身だし、どんな行動を慕って、そこから「得」を見出せない人生観、世界観の方が「損」なんじゃないかと思ってしまう。

多数派が選ばない「間違い」、「損する方」を選ぶ。自分で決めないとできない選択。また、その結果得られたものは希少なものになる。時代が変われば、「間違いだった」ことが覆るかも知れないし、手に入れたものの活かし方を考えていけば、多数派を出し抜けるかも知れない。「損」ばっかり、「間違い」ばかりでも、悪いことは何もないはず。

その、どちらを選ぶのか。目に見えるもの、目に見えないものも合わせて考えれば、世界も行動もそのどちらでもない。自分次第で、どちらの解釈だって選べるはず。

「目に見えるもの一辺倒」で、行き詰まる

今の日本の閉塞感というか、経済的な伸びの鈍さは、「目に見えるもの」とか「多数派が正しいと選んでいること」以外を選んでいないから、というのも一因じゃないかと思っている。自分自身の感覚的な正しさや、一見正しく見えないけども科学的には正しいこと、あるいは最新の研究で正しいと判断されたこと、を選べていない。多数派の(ちっとも正しくはない)多数意見を選んでしまう、あるいは声のデカさで選択が正しいかどうかを判断してしまう。

容易にデータを得られるようになったのも、間違いを加速させる要因。見えるもの、あるいは容易に連想できるものしか見なくなってしまう。「認知バイアス」を回避しきれない状態でそれをやると間違いを回避しきれないのに、検証もままならない。間違った選択であったことが分かっても、簡単に方向転換できずにドツボにはまる。

ついつい、見たいものを見てしまうし、見えやすいものを選んでしまうけれども、そこには正しいものも正しくないものも、両方並んでいる。綺麗に二分化されて配置されてはいなくて、どちらも複雑に入り混じった状態で置いてある。それも、正しい効能だけを取り出すとかえってマイナスを引き寄せることもままある。メリットだけを享受するというのは、できないのが本来の原則だ。

「手軽なもの」や「正しいもの」、あるいは「身体に悪い成分がないもの」だけを選んでいけば、しっぺ返しがくる。いい影響だけを選んでいくと、目に見えないデメリットが蝕んでいく。その原則も分かっておいた方がいい。

自分が正しいと思うものを、自分の責任で選び取っていく

何が正しいのかは、多数派が決めるのでもなく、周りが決めるのでもなく、自分が決めること。今の自分が間違っていると思っても、未来の自分が正しいと判断してくれることもある。多数派が「正しい」と思うものだけを選んでいくと、自分らしさなんてどんどん消えていく。自分にしかできない生き方を選ぼうと思えば、いくらかは「間違いだ」と思われるものも選んでいかなきゃいけないように思う。

そして、その「間違い」や「損」と思われるものをずっと握り締められるかが、もっと大事なんだろう、と。損して傷ついた分だけ、自分だけの経験、血肉を得られている。「損かどうか」を他人に決めさせないで、自分だけが得られたものを活かせるかどうかが、本当の勝負なんだろう。

自分にしかできない生き方で、自分にしかできない選択を貫く。その多様性が時代を変えていく。どこを切り取っても複雑なマーブル模様のこの世界。何を受け取って、何を成すのかも100%自分次第なんだと。当たり前のことにようやく気がついたということで、この話は終わりです。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.05.18

2017.05.18

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