悩んで迷って、答えを選ぶから意味がある

2017.05.19

延々と悩む。延々と迷う。最初から答えが分かっていても、自分で試してみないと気が済まない。その理由を少し考えてみました。最初から必要なものが分かっているなんて、きっとつまらないんだろうな……。

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スナフキンだって、最初からスナフキンじゃなかったと思う

数年前にブームが起こり、ひと段落した気がする断捨離。そして、少しブームになっている気がする「ミニマリスト」。ものを持たない生活、シェアリングエコノミーという言葉も出てきています。自分自身も、基本的な生活スタイルは転勤族。できるだけものを持たず、異動しながら生活できることを目指しています。

その、ミニマリストのシンボルといえば、「ムーミン」に出てくるスナフキン。永遠の旅人。孤独を愛し、ものを持たないことを信条としている。その飄々としたスタイルは、冷たいとも思うし、強いとも思える。全ての人に好かれることはなかったとしても、とても魅力的な生き方をしている。

しかし、彼もいきなりミニマリスト、だったのだろうか。少し疑問に思う。最初から必要なものが分かっている人なんて、少ない気がするからだ。わざわざ一回断捨離で思い切って捨てる、というのが意味があるんじゃないだろうか、と。

例えば、あるサイズのカバンがあったとして、本当に自分が何を必要としているのかが分かっていれば、優先順位をつけて詰め込めるだろうけど、そこにはある程度の経験値が要る。何が必要か分からない、あるいはその時点で必要なものを全て揃えられていなければ、とりあえず詰め込めるだけ詰め込むはず。多少のスペースは用意しながらも、詰め込んだ全てをそのままずーっと持っている、ということは少ないだろう。

入れるスペースは決まっていて、何を入れればいいかは試してみないとわからない。新しく何が手に入るかもわからない。どちらを残せばいいのかも、多分最初はわからない。持ち物から外してみて、いざ必要となったタイミングで「やっぱり必要だった」と思わなければ、本当に必要だったかどうか、わからない。

知識や経験も同じ? 自分で試すことが重要

インプットしたばかりの知識や、聞きかじった知識をそのまま頭の中に入れていても役に立たないし、「どうなるか分かっているから」と試行錯誤をしないのも、多分役に立たない。「本当はどうだったのか」とか「本当に覚えておくべき価値のある知識かどうか」は、使ってみないとわからない。あるいは、一度捨ててみて「あれはこういうときに役立つのか」と思わないと、改めて学ぼうと思えなかったり。

はっきり言えば、無駄だ。どうすればいいか、じっくりシミュレーションをしていけば、実行しなくても分かるだろうし、その時間がもったいない。前例踏襲で、先人の示した答えをそのままもらったっていい。やらなくても分かる。でも、「やらなくても分かる」だけで人生、面白いのだろうか。

「やらなくても分かる」なら、わざわざ宇宙が始まっただろうか。わざわざ生命体が誕生しただろうか。何をしなくても、「生まれれば死ぬ」ことは分かっている。「形あるものは必ず崩れる」し、「熱いものは必ず熱を失う」。やがて全ての動きが止まる。やらなくても、分かっている。

でも、やらずに分かっているということと、「やった上で選んでいる」こととは大きな差があるように思える。実際に一度経験してみて、本当に必要なものかどうかを検証する時間、あるいは悩む時間が本当はより重要なんだと。

結局は、「やった回数」と「(やってみて)悩んだ時間」がモノをいう?

いっぱいモノを持っていても、いざ動いてみるとそんなにたくさんのモノは持ち運べない。自分の身体に染みついたモノだけが、いつでも頼りになる。このとき、「頭や知識として分かっている」状態と「身体で分かっている」状態とは大きく違う。本当に使えるのは、試行回数が圧倒的に多い方。そして、その都度上手くいくかどうか悩んだり、迷ったりした時間が長い方に、より価値が生まれるような気がする。

もし、そのいずれもなくて、お金で買えるモノしか持っていなければいつか人工知能に負けてしまう気がする。身体を使わず、シミュレーションするだけで、すぐに答えが分かるようなモノもすぐに役に立たなくなる。そういうところは使い捨てられる機械の方が有利だろう。

最初から効率だけを求めてしまうと、何も得られない。面倒臭いこと、時間がかかること、一見無駄に思えることにきちんと取り組む。すぐに役に立たないことに、たっぷり時間をかけてみる。たくさん悩んで、たくさん失敗してみて、たくさん試してみる。その上で見えてきた答えに基づいて、必要最低限のモノを選んでいく。その上で効率的なモノを見ていかないと、本当に価値のあるモノ、役に立つモノは残らない。

非常に面倒くさい行動だろう。だからこそ、そこのサポートをしっかりやっていく。しっかり担っていこうと思う。

沢山持っているのも、いいこととは限らない

別に断捨離せずとも沢山持っておけばいい、と思うかもしれない。データや知識、書籍も捨てずに収納スペースを確保して置いておけばいい、と。でも、そうはいかない。沢山持っていれば、何を持っているかが把握できなくなる。沢山持っているモノの隙間に、悩みや迷いのタネが生じる。

だから、時々捨ててみる。動かしてみる。溜めるばかりじゃなくて、外に出してみる。必要なら、もう一回入れてみる。出し入れを繰り返して、知識やモノの風通しを良くしていかないと、本当に必要なモノがさび付いて使えなくなってしまう。大事なモノだからこそ、いつでも使える場所、取り出しやすい場所に置いておくことが大事だと思う。

それに、「全部持っておこう」とすれば、「捨てる」負荷や「選ぶ必要性」という負荷がかからなくなる。限られたスペースを活かす、限られた時間を有効に活用する、ということを考えていけば、容量的にいくらでも溜められるとしても、時々は捨てた方がいいように思う。代謝が起こらないものは、古いものも新しいものも腐っていく。

とにかくやってみる。悩んでみる。選んでみる

やってみた結果、「やっぱり必要なものはアレだった」と分かったとして、やってみるのとそうでないのとでは、意味も理解も変わってくる。仮にやらずにいれば、悩む時間も取れないし、自分の意思で選んだとも言えなくなる。この時、一番重要なのはきっと自分の意思で選ぶということ。

生まれた時から、何かしら与えられたものがある。寿命という時間だったり、才能という授かりものだったり、親や兄弟、あるいは資産だったり。育つ過程で、手に入れるものもあれば失うものもあるのだけれども、その中で自分が何を選んでいくのか、何を選んで生きていくのかが、「与えられたモノ」よりもはるかに重要なんじゃないか、と。

もし、今持っていないモノであっても、自分が欲しいと選んだならいつか必ず手に入る。仮に今捨てたとしても、本当に縁があって必要なら、また出会える。そうやって、自分の判断基準、選択基準を明確にしていったからこそ、スナフキンはスナフキンというキャラクターを作り上げていったのではないだろうか。

最初からミニマリストには、たぶんなれない。最初からミニマリストになってみても、たぶん意味もない。沢山手に入れて、沢山手に入れて、何度もそれを繰り返した果てに答えを見つける。それがたぶん人生の意味なんだと思う。生きるって意味なんだと思う。

たとえやる前から答えが分かっていたとしても、やってみる。試してみる。行動を起こしてみる。そして、時に違う答えを導き出してみる。それができるのは生きている命だけ。人工知能には多分できないだろう。

人間として、生きている命として、この宇宙に生まれた意味を探求するモノとして、面倒に思えること、無駄に思えることもどんどん試してみて、自分で必要なモノを選んでいきたい。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.05.19

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