感知と記憶と、時々、期待。

2017.05.23

ブログを書く理由、あるいはWebサイトとして情報をまとめる理由、コンテンツを書く理由。色んな理由があると思いますが、その一つを自分なりに考えてみました。

この記事は 約 9 分で読めます。

, , ,

「感知」しなきゃ、「解釈」も「行動」もできない

五感、あるいはシックスセンスも含めて、どこかに引っ掛からなければ存在しないのと同じ。レーダー波も撹乱するような状況になれば、レーダー的にも存在しないことになる。見えなければ目で追えない。聞こえなければ、どこから音がするのか分からない。触れなければ硬さや鋭さ、熱さや冷たさが分からない。匂いも味もしなければ、身体にとって有害かどうかが分かりにくい。

五感などで知覚する、感知することができなければ、リアクションも起こせない。事前に分析して対策をとることもできないし、記憶との照合もできなくて、感情も動かない。そうすると、そこから先の行動や変化も多分起こらない。

「初めてのもの」も、扱いに困りやすい

感知できても丸っきり初めてだと、解釈も行動も起こしにくい。「記憶にないもの」も人間は対処に困ることがある。

「記憶にあるもの」を元に類推できるもの、シミュレーションができるものや似ているものであれば何とかなるが、そうでない場合、最初の出会いではどうにもならなかったりする。

人によってはこの時点で観察に徹して、情報を収集するケースもある。また、情報処理が追いつかなくてパニックに陥るケースもあるだろう。パニックまで行かなくとも、思考停止で何もできなかったり、そもそも感知、知覚しなかったと思い込むケースもある。「思った通り」を外れすぎたものや「知らないもの」は受け止める用意ができていなくて、処理するのに時間がかかってしまう。

その代わり、二度目の出会い、三度目の出会いは何とかしやすい。一度目に全てを受け止められなくても、反応を返せなくても、二度目以降なら思考は止まらずに動きやすい、気がする。

「未知との遭遇」に備えるには「予習」、「復習」がいい

「学習」を有効活用するには、理解できずとも「一度知っておく」ことが重要らしい。「初めて」だと理解に時間がかかりすぎる。受け止める余地が少ない。そして、「本当に知らないこと」は質問ができない。「知らないこと」を知るために質問すると思われていそうだけれども、実際には、「理解が足りないもの」を補うためにしか質問できない。あるいは、「求める答えを得るために」とか。欲しい答えが明確でなかったり、知りたいことがよく分かっていないと「いい質問」はできないのだ。

だから、事前に予習をしておく。予習をしておいて、「理解できていないところ」をバラエティ番組の「めくり」みたいに持っておく。そうすると、そこを知ろうとして質問したくなる。逆に言えば、一度知るだけでは「知り得ない部分」を意図的に用意しておくのも、相手の興味を引くために必要なテクニック。

大事なことほど、相手が前のめりになった状態で提供しないと相手は満足しない。その答えが期待を下回るものであればブーイングも起こるだろうが、とりあえず興味を引けたのなら最低限の役目は果たせるだろう。

そして、インプットを強化するためにアウトプットする、理解していなかったところを咀嚼すれば学習が確かなものになっていく。そして、一度事前に予習をしておく、「事前に知っておく」ことができれば「未知との遭遇」が「準備された未知との遭遇」に出来る。

完全に同じ内容でなくても、似たようなものをシミュレーションしておければ、「推測」で対処できる。似ているものかどうかを見抜くためにはその分試行錯誤を重ねなくてはならないが、その辺りは数学の試験を思い出してもらえれば、理解してもらいやすいかと。テストで初めて出会う問題であれば、丸っきり歯が立たないし、以前に解いた問題との共通項が見えなければ、解く糸口が見つからなくなる。数学がそれほど得意でなかった私は、パニックになるか思考停止に陥ることもしばしばありましたよ。

事前に知っておいてもらわないと、期待も抱いて貰えない

事前に知る、事前にシミュレーションするために「物語」が有効だ、とか、「追体験が重要だ」とかはおいおい書くとして、だんだん長くなってきたので、ブログを書く理由に戻っていこう。ブログを書く理由は幾つかあるけれども、ビジネスにおけるゴールは基本的に、「利益に結びつけること」。利益を上げるためには、「(ブログ記事が)面白かった」ではダメで、ブログ記事を読んでもらって、行動につなげてもらう、あるいは行動を阻害していた要因を取り除いて動き出してもらうことがより重要。そこには、「理解」に加えて「期待」が要る。

「このブログを読んで買う気になった商品」、あるいは「このブログで紹介された商品」を「手に入れたらどうなるか」という期待を受けてが抱かないと、行動には移行しにくい。「快を得る」か「不快を取り除く」予感、期待がないとお試しすらしてもらえない。期待して、購入する、あるいはお試しして満足するかどうかは、この事前の期待を上回れるかどうかにかかっているのだけれども、そこは今回範囲外なので割愛。

この「期待」。「知らない」と期待できないし、「シミュレーション」や「推測、類推、予測」ができないと起こらない。また、五感に引っかかるために「感知」されないと、その先の「知っているかどうか」の照合にも移行しない。つまり、「感知される状態にする」こと。「事前に知っておいてもらう」こと。その上で、「期待を抱かせること」をやらないと、受け手は期待を抱かない。

そして、この「期待」と「感知」や「知覚」は直結しているものでもなく、間に「拒絶」や「咀嚼」が挿入される。感知されたから必ず理解してもらう、受け入れてもらえる訳ではない。本能的に危険なもの、恐怖を感じるものは拒絶されるし、理解しようと受け入れた結果、初めてのものは受け入れ拒否、嫌な記憶と結びついていても拒否、理解の過程で興味が湧かなければ忘却や無視といった反応が返ってくる。

感知や認知された後、受け入れてもらうには「一度知っておいてもらうこと」とか「ある程度周りに量があること」とか「似たような事例が身近にあること」が意外に重要になってくる。そう、「感知してもらう」ために見える状態にする。「一度知っておいてもらう」、「似たような事例が身近にある状態」もしくは、「身の回りにその情報が大量にある状態」を作るには、ブログを書く、Webサイト上に受け取ってほしい情報を出しておく、コンテンツマーケティングとしてコンテンツを書いていくのが、一番手っ取り早いのだ。

人によっては必ずしも文字や文章以外が得意という人もいらっしゃるかと思いますが、受け手の通信環境や処理状況も考慮すると、文字や文章の方が不特定多数に届きやすいとは思うので、そこはやっぱり文字情報としてまとめておくのが便利かな、とは思います。

「知らないことは質問できない」。でも「質問してもらいたいこと」や「興味を持ってもらいたいこと」は隠しておいて、「めくり」の状態にしなきゃいけない。「何もない」とか「何もまとめていない」とか「想像力を掻き立てられるコンテンツ」が一切ないよりは、一つでも二つでも見える状態になっていた方が、受け手は反応がしやすくなる。だから、「利益」に結びつける手前の手前、前触れである「期待」を受け手が処理しやすい状態で届けてあげるために、情報をまとめておいてあげましょう。訊いて欲しいなら、こっちからネタを振る。それができれば、次の展開も期待できますから。

知覚の順番を無視して、情報を出さないこと

受け手の知覚する順番や速度を無視した情報の提供は、極力避けること。やっぱり「目」で見えてから「耳」で聞こえて、鼻、肌、味覚の順番。外からだんだん中へ知覚されていかないと、受け手は気持ち悪いと感じてしまう。気持ち悪いと感じられれば「拒絶」へ近付いていくので、相手の知覚の順番を無視して情報を提供していかないこと。テレパシー、はないと思いますが、いきなりインサイドへ知覚させるのは避けたほうがいいでしょう。

また、相手の理解の速度も無視しない。読む速度とか、理解する速度は相手が勝手に決めることだと思いますが、「ステップメールだ」ととにかく送りつけたり、一方的な速度で情報を提供していったり、あるいは相手の理解が追いついていないだろうに持論を展開してしまったり。情報を提供するといっても、あくまでもコミュニケーション。相互のやり取り。必ず、相手が受け止めているかどうかを考慮すること。

そういう意味では、以前に書いた「起承転結」の「結」がそういう「思いやり」を示している部分。物語的により重要なのは一つ手前のクライマックス、すなわち「転」だけれども、そこでブツっと物語が終わってしまっては受け手は気持ち良く日常に帰っていけない。

きちんと相手の気持ちの整理がつくまでそばにいてあげること。受け手が「元の生活」へ戻っていくのを見届けるまで、残心をとること。その思いやりが「結」という要素。情報を提供する、コミュニケーションをするという意味でも、きちんと残心を取らなきゃいけない。

相手が付いてきているかどうか。最後、何を持って日常に帰ってもらうか。どういうときに期待を抱いてもらいたいかも、すこ〜し考えておく。表現や内容に現れなくても構いません。気にかける程度で十分ですが、全く気にかけずに書いたりしてしまうと、それはやっぱり露骨に出ます。「受け取る人を大切にしていますよ」という気持ちが少しでも伝わるように、ささやかなことであっても心がけておいてほしいものです。

行動の前触れ、先触れとなる「期待」を抱いてもらうために、「知ってもらう」。質問してもらうために「質問の種」を自ら撒いていく。その手段として、ブログを書く、情報をまとめる、コンテンツとしてストックしていく。これが「書く理由」なんだと思いますが、皆さんの意見はいかがでしょうか……?

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.05.23

2017.05.23

Loading...
Facebook Messenger for Wordpress