語感や文字の扱いについて思うこと

2017.05.26

言葉に対する感性、あるいはその考え方について、どうお伝えしようかと考えていたんですが、ちょっとだけ答えらしきものが見えたので、思いつくままに書いてみます。

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「言葉」はデリケート

情報の伝達を、「文字」や「文章」で伝えるというのは簡単に見えて案外デリケート。なぜなら、「言葉」やその「取り扱い」には色んな要素が含まれているから。

例えば、「音」としての意味。日本語や英語など言語を問わず、音声として発せられるのが「言葉」。活字や出版という技術が広まるより先に、音楽や舞踊というのが発達しただろうから、「歌」や「音楽」という要素は付いて回るだろう。日本語も、「短歌」や「連歌」など、やはり「歌」の文化が花開いている。文字だけを切り取った「詩」より、音もセットになった「詩歌」や口伝の物語に音をつけた「吟遊詩人」的なことが世界各地で広まっていったように思う。

これは、表意文字の文化がある中華文化圏でも、同様だろう。なにより、現代の中国語は発音が非常に難しい。それだけ、「言葉」と「音」や「リズム」というのは切っても切り離せない要素になっているのではないだろうか。

現代でも、「音」という観点を完全に切り離して、その「文字」としての情報だけを伝えるのは難しい。「黙読」といいながら、頭の中では「音読」していたりするし、「句点」や「読点」はやはり息継ぎの感覚で使ってしまう。実際に声に出す、出さないを問わず、どこかに「音」の要素を考えてしまうから、だろう。

音以外では、「絵」や「パターン」としての要素もある。「カリグラフィー」や「レタリング」、「書道」という文化もある。「フォント」という考え方も、やはり一つの「見た目」、「絵」や「パターン」、「陰影」としての要素が存在するからだろう。純粋に「目」で見た時の処理がこれに当たる。頭で意味を解釈する前の状態だ。ここで上手く「形」を認識できないと、文字の「意味」も読み取れないから、案外重要である。

アルファベットや仮名、あるいは漢字など。フォントの種類が影響する見た目の印象もあれば、文字の種類が与える印象もある。特に、画数や太さ、インクの量や複雑さというのは意味合いが大きい気がする。「かな7割、漢字3割」というのも、漢字の方が画数が多くなりがち、重たい印象を与えがちで負荷をかけるから、軽く読んでもらいたいのなら漢字の量を調整しろということなのだろう。

インクの色味やフォントの種類でも変わってくるのだろうけど、やはり「重さ」を感じさせるもの、「塊」を感じさせるものは重く感じるし、読みにくさ、読み続けやすさに影響してくる。特に横書きの場合、その影響が多いように思える。

だからこそ、Web上の文章、メールなどの文章では適度に余白を取った文章を心がけたい。といいつつ、本ブログはほぼ文章のみで押し切るから、その辺は矛盾しているのですけども。

適度に改行、適当に余白を取って、「ブロック感」とか「かたまり感」をコントロールする。その辺りが、「言葉」に気を配るための第一歩、だろうか。

言葉には「印象」や「リズム感」、「ベクトル」が存在している

国語の時間ではないので、同じ響きの言葉の選び方については、人それぞれでいいと思う。ただ、意味合いが違うものであれば、慎重に選んだ方がいいとは思うので、そこは言葉に対するリスペクト、先人の知恵に対する敬意を払って、きっちり調べておいた方がいいだろう。使う前にちょっとググってみる、でも十分かな。

ただ、一方でどんな表記をするのも自由なので、「どういう印象を与えたいか」で文字を選択すべきなのは間違いない。「早い」と「速い」と「疾い」、「悲しい」と「哀しい」、「泣く」と「鳴く」と「啼く」と「哭く」。ニュアンスが違えど、どれを選んでも書き手の自由。「分かる」「判る」「解る」「ワカル」「わかる」も、どれでもいい。どんな印象を与えたいかは、意図的に決めよう。

また、「リズム感」というのも多分ある。この辺りは音楽には疎いのであまり踏み込まないが、「文字数」の問題や似たような表現でもどっちを選ぶかのバリエーションをどれだけ持っているかに関わってくるので、引き出しは増やしておいた方がいい。ただし、適切に使えることがより重要。

後は、「ベクトル」。「一定の方向性」とでも言おうか。何かの言葉を使えば、人はそこに「印象」や「流れ」を無意識に汲み取りがち。どういう方向へ話題を持って行きたいのかを考えながら、一つの文章の中であまりあっちにもこっちにも向きを変えない方がいい。わざとやるのなら問題ない。また、短文を重ねて調整するのもいい。長文でダラダラと色んな方向へ話を向けるのはやめた方がいい、ということ。

「文章」は「楽譜」。「超絶技巧」はNG

文章の書き手ができるのは、読み手が再生しやすい「楽譜」を提供すること。文字の選び方や句読点でリズムを作ることはできても、代わりに解釈したり、読み取ってほしいように無理やり飲み込ませることもできない。だから、できるだけ「共通解」的な文章を組み立てた方がいい。

読み手にあまり馴染みのない単語を選択するのも良くないし、文法的に正しかったとしても読み手が取り違えそうな表現も慎むべき。「これであってる?」と思わせる文章も、いい文章とは言い難い。もちろん、文芸書などで狙ってやっている分には「ご自由に」だ。それ以外の文章なら、「再生しやすいこと」や「解釈の幅がブレにくいこと」を最大限に考慮した方がいいように思う。

「れる、られる」や「い抜き言葉」で書き手や読み手が迷うようなら、それを避けた表現を選んでほしい。あくまでも、仮面ライター流の流儀だけれども。

論理的な正解はないから、修行あるのみ

数学みたいに、明らかな答えや公式が存在する領域ではない。感覚的な最適解、みたいなものをアウトプットしながら見つけていくしかない。ここは時間をかけて、繰り返し繰り返し練習していかないと磨いていけないので、時間をかけるべし。アウトプットをこなして、適切なフィードバックを受けて、さらにアウトプットしていく以外に、上達の道はない。

「簡単にできる」が求められるご時世に、時間の無駄にしか思えない「修行」を提案してしまうけど、こればかりはきちんとやらなきゃいけないので、取り組んでもらえればと思う。お手伝いが必要なら、いつでも仮面ライターまでご連絡ください。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.05.26

2017.05.26

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