最近の物語について思うこと

2017.05.26

読み手として、受け手として思うことを、自分の身も顧みずに書いてみる。オチは特に考えていない

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「起承転結」で書けない人が増えているらしい

大塚英志氏の『物語の体操』や、『公募ガイド』に掲載されていた後木砂男氏の連載などの影響からか、「ハリウッド脚本術」的な作劇が増えているらしい。テーマを分解して、キャラクターを分解して、要素を書き出して組み合わせて間を繋げばOK、みたいな作り方は最初の頃は確かに有効だろうけど、それしかできない作家が沢山増えても誰も得しないと思うのだけれども、どうなんだろう?

いわゆる「箸にも棒にもかからない」レベルが、Webが登場したことによってぐぐっと下がってしまって、「出版不況」みたいなことも相まって、ラノベやら「なろう」やらの出版も出ているけれど、それで果たして面白いかと言われるとそんなことはなく。

小説に限らず、ドラマや映画、ゲームのシナリオも、「面白い」と思えるものは減ってきている。若い才能も出てこないし、面白いかどうかを判断する人たち、あるいは面白いものを作る人たちの「面白いと思うもの」のレベルが上がってきていない。教養も足りなければ、極端にからだに悪そうなものも取り入れていないから、芸の幅が少ない。

そこに加えて「起承転結」の特に「承」が書けないから、と即席なストーリーメーカーで量産体制をとってみたところで、面白いものなんて、そうそう出てくるはずがない。「沈黙が怖いから会話ができない」みたいな話と似てくるのだろうか。常に流されていないと、繋がっていないといけないと思っているようなら、「才能がない」とバッサリ切り捨てる編集者の愛の鞭も必要だと思うんだけど、違うんだろうか。

そもそも、「何もなくても味わいがある」というのが減っている気がする

目に見える部分というか、派手な部分だけを取り上げていくから、目に見えにくい部分の味わいみたいなものを「物語」においても無視しまくっている感じがする。確かに、技巧の上手さや思いつきの鋭さみたいなものも一種の才能だろうけど、それだけを誇ってみたところで長続きはしない。そうそう量産もできないし。

派手な部分を見せたいなら、余計にベースになる部分、地肩というか地頭の部分を十分に引き上げておかないと、引き立たないと思うのだけれども、そうでもないのだろうか。即制覇できない。絶対に時間がかかる。また、魅力も「分かる人でないと分からない」から貫くのも難しいし、「その人でないと醸成できない」から、外からアドバイスしすぎて方向を変えるのもね。

案外、この部分って難しい。自分以外に似たようなモデルはいても、自分自身のロールモデルは絶対にいない。自分で道を切り開かなきゃいけない上に、評価がすぐついてこないところだし。で、すぐ目が出ないと判断すると、見た目の派手な方に編集者の目が向く。多分、編集者の目や編集部の目みたいな、見る目を持つべき人たちの劣化、みたいなものも、最近の物語が味気なくなってきた理由の一つに思う。

何も事件が起こっていなくても、面白い。心地いい、気持ちいい。そういう技術というか、演技しない演技というか。そこら辺がもっと継承されていかないと、スッカスカなものばかりが残っていく羽目になる。

観客をずっと惹きつけるだけの力がない。自信を持てていない

派手でわかりやすい部分を見せること、見せ続けることに必死になっているからか、緩急の「緩」に十分に時間を取れていない作品が多い気がする。確かに、「緩」の部分は書きにくい。それはわかる。事件も起こらないのに、受け手を引きつけたまま時間を感じさせる、きっちり時間を取らせるというのは難しいし、正直怖い。作り手としても分かるのだけれども、そこを惜しむと伝わらないものもあるだろうに、惜しんじゃう作り手が目につく。

ナレーションベースとか、場面転換でサクッと時間を飛ばせばいいって言うもんじゃない。きっちり物語と同じだけの時間を感じさせろ、とも思わないけども。少しぐらい「待て」をさせる。「待て」があるからこそ活きる時間、活きる演出っていうのも存在する訳で。そこをきちんとやらないで、手を抜いて楽をするから駄作に成っている物語が果たして何本あるか。

テンポよく展開するだけがいい物語じゃない。きちんとおもてなしすることができないで詰め込むだけ詰め込むというのは、褒められたつくりじゃないんだといい加減に気がついて欲しい。

「結」と「起」もきっちり作れていない

作劇講座、文章講座がたっぷりあって、受講者もたくさんいる割りに、プロットの奇抜さや「転」の作り込みだけになっていて、「結」や「起」の部分がどうもきちんと作れていない物語もよく見る。テンポよく展開させるために放り込んだ「設定」とか「余分な尺」とか。そこを削って、「もっと味わいのある始まり方」とか「もっと余韻を味わわせる終わり方」とか。配分を変えれば作れるはずなんだけど、見せる部分を間違えているというか、フィロソフィーが違うというか、なんかそこら辺がズレている感じがする。

きちんと読者などの受け手をおもてなしする。導入から、おかえりまでをきちんと案内してあげる。そこを忘れて「大道芸人だ」と技のアピールにだけ走る。もう、そういうのはお腹いっぱい。だから、小さな物語でもいいから、最初から最後までたっぷり楽しんでいってもらえる物語を書いていければと思っている今日この頃。

さて、仮面ライターもぼちぼち色んな小説も書いていかねば……。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.05.26

2017.05.26

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