新しい世代のために、お茶を濁さず戦わなきゃいけない、らしい

2017.05.26

仮面ライターは屋号で肩書きではあるけれども、職種や職能を表したものではない。特定のサービス、ソリューションを提供することを旨とした文言も特別に掲げない、独立系の変な奴。その新種度合いを認識したら、『戦う』ってことが見えてきた。

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「立ちすくむ国家」という資料に、ミドルエイジが旗を振る悪夢

経産省の若手官僚が作ったという、某資料。
「不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜」

この資料を見て、具体的に立ち上がって旗を振ろうとするのが、どう見ても中身のないミドルエイジというのが非常に滑稽だ。この資料的にはどこまで書いてあったか把握してないけど、正直40代以上は「死んでくれ」と言われている側なんじゃないかと。「昔は良かった」とのたまう人たちの最後の世代が、多分バブルとITバブルとを経験してきた世代。非「ゆとり」世代。

ここまでの連中がきちんと上の世代と戦ってこなかった、世間や社会に対してなんのアクションも起こしてこなかったからこの資料ができている訳で。本当に、いい加減にしろよとも思ってしまう。

中身のない人を盛り立てて、本質的でないことでいつまでも遊んでいる。何やってんだ、と。大した挑戦もせず、小手先の蓄財だけして、リスクをとることも、上の世代にそういうことを具申することもせずに遊んできた世代。もう、十分遊んだでしょうに。

「家庭があるだろうから」、とか「長幼の序」とかで、遠慮しすぎてしまったのがこの結果。その人たちが答えを出したって、「間違った答え」にしかならないのは必然。モデル無き生き方を選んでない人たちには、何もできやしない。

「仮面ライター」は、モデル無き生き方

もちろん、参考にする「似たような人」や「メンター」がゼロだということではない。しかし、「人の真似はしたくない」という思いもあるし、「新しいことをしなくてはいけない」という思いもある。だから、自分自身の生き方として総合的には「モデル無き生き方」を選んできているように思っている。

目の前に、モデルのいない生き方は中々大変だ。新しさの度合いが高いということになる。品種改良レベルの亜種なら、社会に溶け込んでも生きていけるだろうけど、完全な新種に近い変異だと社会には溶け込めない。居場所を巡って戦わないといけないのに、それを避け続けてきた。でも、そろそろ限界が近い感じ。

社会の溶け込めている「新しい価値観の人たち」、クリエイティブな人たちが生きにくさや袋小路感を感じ始めている。資本主義社会もどきの経済活動もどきに振り回されて、既得権益を打ち破っていけず、猿山の大将に勝てないでいる。結局、従来の生き方を選んでいる方が強いんだ、と。

でも、そんなことはない。社会も価値観も新しくなってきていて、従来の消費モデルや生活モデルは役目を終えつつある。それを示したのが冒頭の資料でもある。早い話が、「老化」を克服できていない。健全な世代交代が起きてしかるべきなのに、それすら芽を摘んでしまっている状態。ここに、立ち向かっていかなきゃいけないんだろうな、と。

自由な資本主義を守るために、従来の枠から飛び出なきゃいけない

従来の価値観、従来の経済活動、目の前にある見せかけの資本主義、資本主義ごっこから自由にならないと、完全に新しいことは導入していけない。新しい価値観の人たちが戦おうにも、「従来のルール」を盾にされれば従うしかなくなる。

でも、仮面ライターはそういうところから自由になりつつある。従来の枠組みを飛び越えて、いきなり新しいものを導入していける立場にいる。制作スキルも低くはない。他の業務スキルも低くはない。内向的ではあるが、外向きの人たちともやり取りしていける。ビビりではあるし、優しすぎるきらいもあるけれど。

覚悟を固めて、「死んでくれ」とか「喰われてくれ」と行動で示していくしかない。やりたくないけど、やらないと新しい世代が全て終わる。日本が新しいことに取り組んでいけるように、色んなものを破壊していかなきゃいけない。破壊する役割、再生する役割を担わねばならない、とは。

「なんで自分が」と思ったところで、逃げてみたって解決しない

もしかしたら、5年前から。あるいは10年前から、自分に求められていたのはリーダーという役割だったんじゃないか、と今更ながら理解する。周りに自分よりはるかに凄い人がいたとしても、そういう人たちを導いて活きるようにするのが自分の仕事だったんだ、と。

自分には凄いスキルがあるわけでもない。凄い財力があるわけでもない。凄い血筋でもないし、凄いことを成し遂げたわけでもない。目に見えないことばかりで身の丈を小さく見過ぎてしまうけれども、そういうのを飛び越えていくのがまた「新しい価値観」になっていくのかもしれない、と思えるようになってきた。

「お金がないから」とか「経験がないから」とか、「スキルがないから」とか。色んな理由をつけて自分に託された役割から逃げ続けてきた。それで欲しいものが得られているのなら問題ないのだけれども、どうもこっちには欲しいものはないらしい。まず、リーダーという役割を受け入れること、それから「世代交代」を意識したやり取りを取っていくこと。それをやらなきゃいけないんだろうな、とやっと腹をくくれた感じ。

もちろん、世代交代とか革新といっても、物理的に暴力的なことをするわけではなく、犯罪的なことも一切することなく、経済的な影響力を見せつけて行って屈服を迫るというやり方を取っていく他ないんだけれども、それもやり続けていくには、まだまだ色々足りない感じ。足りないんだということを言ってみて、協力を得ながら新しい社会を作っていけるようにしなきゃいけない、かな……。

新しい世代、全員が幸せになるための結末を目指しているんだと、多少傲慢、強引に行かなきゃいけない。苦手だけど、慣れる他ないね。頑張ろうっと……。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.05.26

2017.05.26

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