【壊乱】#043

2017.05.28

竜退治をテーマにしたオリジナル小説。
第43話。

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 グラスを掴んだ手の甲に、刺すような痛みが走る。思わず、手を引っ込めた。把持していたグラスは、重力に従うまま床に叩きつけられていた。
「何をしているっ」
 小さな穴の空いた窓を開けながら、グレイシアは怒声を上げる。
「何って、ただ酒を勧められたから」
「酒なんて、どこにある?」
「え?」
 足元にグラスを落としたはず。目をやると、割れた破片とそれを飲み込むひと握りの砂が見えるだけ。
「アレン、ドルトン、これは一体」
 視線を向けた先にあったのは、朽ちて白骨化した死体。腐臭が肺腑いっぱいに広がった。腹の底から胃液が上り詰める。
「吐くのは後。とにかく、出るわよ」
 窓から小屋に入ってきたグレイシアは、そこら中に転がっている死体を踏み散らして真っ直ぐに近づいてきた。辺りに視線を巡らせると、そこにあったのは死体と血痕だらけ。血や体液を浴びた調度品は、干からびた肉片の元の形を想像させるようなシミを残して、腐敗していた。アレン、ドルトンだと思っていた二つの死体が、最も原形をとどめているように思える。
 頭の中の処理が追いつかない。口と鼻とを塞いで、食道を上がってきた胃液と戦いながら、小屋の外へ向かう。グレイシアの開けた窓に足をかけ、彼女の先導に従って草の上に出る。
 そのままの勢いで草原の縁にある川まで向かい、口の中のものを吐き出した。口の中の酸味を濯ぎたい。川の中へ両手を差し込む。
「やめなさい」
 顔を上げると、グレイシアが険しい表情を浮かべている。
「この森はおかしいと分かっていて、それを口にしようだなんて、本当に危機管理がなってない。それでよく、他人の心配ができたものね」
 冷たさが心地いい清流が、目の前に流れている。不快感もどうにかしたいが、グレイシアの警告が正しいのだろう。川に背を向け、両手の水気を拭った。アレンから預かった水筒の水で口をすすぐ。
 もう一口、ゆっくり水を飲んで水筒をしまう。身体の中に詰まったように思う腐臭を長く長く吐き出していく。
「ここは恐らく、一種の異界。異界のものを口にすると、元の世界に戻れないなんて、よく聞く話でしょう?」
「じゃあ、さっきの幻覚も」
「そういうことだと思うけど」
 異界に入ったつもりはなかったが、そういう霊的なスポットがあることは否定しない。迷い込んだ人が帰らないのは、幻覚を見せるというキノコのせいだけではなかったのか?
「そういえば、甘い匂いを嗅いだんだけど」
「さぁ。全く知らないけど。例のキノコの胞子かしら。幻覚にかかりやすい人間だけ、引っ掛けるようにできているのなら、相当な悪意の持ち主ね」
 そうだ。キノコは胞子を吐き出すんだ。森中の空気に溶け込んでいてもおかしくはない。あの小屋にいた人たちも、皆それに騙されたのだろうか。
 グレイシアの目は、茂みの方へ向いている。先ほどの鹿が戻ってきている。じっとこちらを見据えたまま、微動だにしない。
「まるで、どこかで誰かが見ているみたいね」
「誰かって?」
 グレイシアはため息をついて、呆れたような目でこちらを見やる。
「少しは自分で考えなさい」
 そのまま、草原を横切る道の方へ歩いていく。
「何を選ぶのか、何をさせるのか。決めるのは、あなたの仕事。少しはしっかりしてよね」
 歩きながら、振り返って言い捨てた。小屋の手前で足を止め、周囲に目を配りながら、真っ直ぐに立っている。彼女の力があれば、有能な部隊はすぐにでも編成できるだろうに、何故、はるかに未熟な自分が隊長に納まったのだろう。皮肉は言えど、不服を申し立てなかったのも、何故なのだろう。
 疑問は尽きないものの、今はその答えを探している場合でもない。ここで待つのか、先にフォレスタへ向かうのか。森に消えたアレン、ドルトンを何とかして探しに行くのか。あるいは、鼻先にぶら下げられた悪意を確かめに行くのか。さあ、どうする?
 考えるにしても、グレイシアと離れすぎるのも良くない。彼女が腰かけたベンチへ向かう。日除け、風よけになる簡易の屋根も付いている。根元だけ残っている杭は、乗合馬車があった頃の案内だろうか。
「どうするか決まるまで、仮眠を取る」
 グレイシアは、胸の前で腕を組み、ベンチに体を預けた。警戒を解いて完全に寝ているようには見えないが、呼吸の速度はゆったりになったらしい。胸当てが大きく、ゆっくりと動いている。
 寝ている間の警戒も、任されたということか。周囲に気を配りながら、森の中に消えていく街道の先を目で追ってみる。途中から茂みの陰になって見えにくくなっている。ここまでと同じような行程をもう一度繰り返すのか。人員が減った状態で、フォレスタまで向かうというのはやはり気が重い。しかし、仲間の回収に赴こうにも材料が足りない。フォレスタでの戦況も、僕らの到着が遅れれば、悪化していくだろう。先行したネウロたちが、次の行動に移れないのも問題だ。向こうで自由にやっているだろうが、この先の行程も考えれば、ここで長居する訳にも行かない。
 いっそ引き返すか? ウッドフィールドまで戻って、迂回路をたどる、援軍を呼ぶ? 今しがた来た道に視線を送る。道を塞ぐように、茂みの向こうで鹿が佇んでいる。二つの目はしっかりとこちらを見つめていた。
 フォレスタへ抜ける方角にも、別個体の鹿が陣取っている。先ほど逃した個体に三方を塞がれてしまった。どの道を選んでも、戦いは避けられないらしい。
 さて、どうしたものか。そろそろ答えを出さないと、食糧はともかく、水や護符の効果は切れてしまう。幻術に強いグレイシアがいるとはいえ、どうなるか分からない。
 視線が不意に、その顔へ止まる。我が姉ながら、整った顔立ちをしている。気の強さを感じさせる鼻筋と眉をしているが、全体の作りはむしろ華奢さを感じさせる。身体の造りも、決して骨太な身体ではない。体格も少し小さいぐらいで、筋肉質な様子も見て取れない。これで、剣と魔術の使い手とは思えない。軍服を脱いでドレスに着替えれば、社交界で話題になってもおかしくはない。
 女系が強い家柄に生まれた長女とはいえ、幼い頃は年相応の天真爛漫なところもあったような記憶があるが、自分を可愛がってくれたのは、いつまでだったか。いつからこんな関係になったのか。こんな場所で考えてもしょうがないのだけれども、つい思考が偏ってしまう。それも、この森が持つ見えない力のせいなのだろうか。
 他人の身を案じながら、結局、誰かの力を当てにしているのか、僕は。十分な大人になったというのに、姉を頼ろうとしている。アレン、ドルトンを信じると言いながら不安を覚えるのは、自分を信じきれていないからじゃないか。
「いい加減、しっかりしなきゃな」
 グレイシアの顔から視線を切り、周囲に配りなおす。幸い、気を抜いていた間に何かが近付いてきた様子はない。そうだ、さっきの鹿は……。
 川の向こうに見えた鹿は、顔をそらして明後日の方向を向いている。道の先にいる鹿に目をやっても、どうやら同じ方向へ顔を向けている。後ろの鹿も同様だ。何だ? 何が起こっている?
「さぁ、どうする? ブレイズ隊長」
 いつの間に眠りから覚めたのか、グレイシアは挑むような目で見つめてくる。
「どうって」
「本当に鈍感な男だこと」
「鈍感って、いったい?」
 グレイシアは、森の方を顎で指す。そちらに目をこらすと、小さな黒煙が上がっているのがわずかに見えた。

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【壊乱】#001

竜退治をテーマにしたオリジナル小説。 第1話。

執筆者プロフィール

長谷川雄治(はせがわ・ゆうじ)

物書きな作れるWebコンサルタント。
HTML/CSSのマークアップやWordPressのカスタマイズ案件を経験し、サービス構築やブランディング、サイト設計や戦略プランニング、各種原稿、書類作成まで担う。
独自色の強いコンテンツマーケティングの人という立ち位置も見出だしつつあり、不足しているものを補うべく、日々実践中。

2017.05.28

2018.05.02

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